希望を紡ぐ
 

ものすごくご無沙汰してしまいました、このブログ。昨年の11月始めにアップ以来だなんて! 開設しているならそれなりに動かさないとダメですよねぇ。ご訪問頂いている方々には申し訳なく、ほんとうにすみません。

と、期待通り今年も平謝りで始まりましたね(笑)。
こんなふうでちっとも成長がありませんが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。(これも遅い!!)

今年最初のブログなので、何かおめでたいことを書きたいなと思っていたら・・・ありました! 画像の『週刊金曜日』が、それ。今日送られてきた最新号(新年号)なのですが、な、な、なんと、その特集にアリヤとワタクシ(幸)のことが掲載されているのです!

実のところ、昨年に取材を受け掲載はわかってはいたのですが、自分のことを知らせるのは超苦手でして・・・。今までもたくさんの方のご厚意で色々なメディアに取り上げてはいただきましたが、それを自分で言うのは恥ずかしくてたまらないという・・・

でもね、それじゃあイカンのですよ。自分のことは置いといて、アリヤを応援してくださっている方々のその心を思えば、そんなことを言ってちゃあ逆に失礼というもの。照れてどーするよ。素直に一緒に喜ぼうよって、そう思ったのです。それはまた、この『週刊金曜日』というメディアの「確かな目」に留まったということの喜びでもあります。身に余る言葉の数々に、恐縮しながらも感激しています。

アリヤ創刊当時から(神)とよく冗談を言い合いました。「週刊金曜日に取り上げてもらえるようになったら、私たちもホンモノかもね」と。「ない、ない、ない」と笑い飛ばしてはいましたが、しかし、それは理想と現実の狭間でめげそうになる心を、奮い立たせるひとつの「おまじない」のようなものでもありました。激務と生活苦のなかで、制作者として、いや人としての私と(神)が貫きたかった理想を、本当にわかってもらえるメディアは、そう多くはないだろうとも思っていましたから。“社会貢献”とか“ボランティア”とか、そんな口当たりのいい言葉ではなく、もっと根源的なことを望んでいましたから。

いま、万感胸に迫ります。

この地方都市のA5判の小さなアリヤが私たちにもたらしたものは、単に「あきらめない」ということでした。

あきらめなければ「希望」はいつも傍にある。私のポケットにある。カバンの中に、机の引き出しに、カップの珈琲の中にだってある。それはどんな環境にいてもどんな状態にあっても、万人が手にすることができるものでしょう。自分さえ望めば。あきらめないで、小さなことでもひとつずつ実行してゆくこと。行動に起こすこと。

すべての道はそこから始まるということを、おこがましくも証明するべく、私たちは何も持たずに出発したようなものです。

新しい年の始めに、このような報告ができたことがとても嬉しいです。いつも愛読してくださっている読者の方々と、この喜びが共有できるといいなと、記事にしました。まだ21号は制作中で遅れていますが(すみません・・・)どうか今年もよろしくお付き合いください。

最後に、読者のみなさまと取りあげてくださった『週刊金曜日』の編集者Mさんに、感謝を込めてこの掲載記事の最後の部分をお借りして、捧げます。

― 一匹の蟻は小さいが、何万匹もが連なれば大きなものを作り出せる。一人は微力だが無力ではない。―

※週刊金曜日のHpはこちら
http://www.kinyobi.co.jp/

(幸)
| - | 18:38 | - | - | pookmark |
デンマークに学ぶ


アリヤ6号から16号まで、長阿彌幹生氏に連載していただいたデンマークのエッセイが、一冊の本になりました。一部加筆されたり、コラムなども載っていますよ。 毎号、興味深い記事が満載で、個人的にも読むのが楽しみだった連載です。こうやって一冊にまとめられると、私たちのような小さな出版社が何だかすごい連載をしていたんだなあと、感慨深いものがあります。

たぶん、福祉先進国のデンマークをリアルに、そしてつぶさにまとめた本はそんなにないんじゃないかと思います。福祉関係の本もデンマークに関係する本もたくさん出版されているとは思いますが、一般の私たちが興味あることをわかりやすくまとめた本は、なかなかないのですよね。何より、デンマークも福祉も、とても身近にしてくれたこと、これがいちばんよかったと思います。知るきっかけを作ってくださった、長阿彌氏に感謝です。

いま、日本の置かれている現状を思えば、国民が選ぶ幸福度が世界一高い国であり、ノ―マライぜ―ションが生まれた国=デンマークには、解決への糸口がたくさん詰まっているように思います。

私がここでぐちゃぐちゃ言うより、まずは読んでいただくこと。以下、興味深い見出しを少しだけご紹介。






ご注文の方法は以下です。

■長阿彌 幹生の デンマーク読本
A5判(全88頁/カラー4頁) 1部500円(本体価格476円)

●購入申込:.瓠璽襦nakayoshi@kyoikubunka.com
        電話・ファックス:092−923−9339(教育文化研究所)
●連絡内容:,名前(フリガナ) ⇒港先住所 E渡暖峭罅´す愼冊数
●郵送料:4冊まで(80円)※それ以上は冊数により異なります。
●支払方法:お近くの郵便局で同封の払込取扱票にてお支払い下さい。※払込手数料120円要

デンマーク人にできて、私たち日本人にできないはずはない。
という長阿彌氏のことばは、そのまま強い響きをもって、胸に落ちました。

ぜひ、、たくさんの方々に読んでいただきたい1冊です。

(幸)
| - | 15:40 | - | - | pookmark |
折り目正しく賢いクッキー。
 

ずいぶんご無沙汰しました(幸)です。
やっとアリヤ20号の入稿のメドが立ちました。それで前々から書こうと思っていた、自由学園のクッキーのことを。障がい者施設でよく商品やパッケージの相談を受けるので、参考になればと。ちょっと感動したんですよねー、その終始一貫したシンプルさに。(あ、別に自由学園の回し者じゃありません。笑)

最初の写真は外側。白い包装紙にロゴのみ。赤いリボンが効いています。リボンは布ではなくPP紐のような軽いタッチ。でもお安く見えないのはなぜだろう???
包みを解くと出てきたのはまっ白い缶。ああ、美しいです。何もないのがいい。これは間違いなくモノ入れに使いますよねー、女子たち。



蓋を開けると・・・おおおーっと思わず声を上げてしまいました。どうです、このびっしりと隙間なくお行儀よく並んだクッキーたち! かなり新鮮!



最近のお菓子は個包装だったり個室のような仕切りの中に入ってたりで、こういうのは見かけません。衛生面とか壊れないようにとの配慮からでしょうが、このクッキーはそういうことをモノともしていない(ように見えます)。
しかも、この詰め方!そうとう研究されたんじゃないでしょうか。いや、これは難しいです。
お弁当を詰めた経験のある方ならおわかりでしょう。全部きれいに見えていて、しかも隙間なく、開けた時に動いていない状態を作ることの難しさを。相手はクッキーですよ。これだけでもう、感動です!手間をかけるとはこういうことかと。

クッキーひとつひとつの姿がとってもかわいい。大中小、円いのやら四角いのやら長いのやらコロンとしたのやら、極小のケーキも銀紙に包まれて。味も全部違っていて、もちろんおいしかった。しかもしかも食べていくうちにあることに気が付いたのです。



詰める際にどうしても出る隙間に、詰め物をすることがよくあります。嵩を上げたりとか。その隙間埋めにまで、場所により大中小のクッキーが使われていたのです。ここにあるのとは別の円いクッキー。つまり、すべてクッキー。余計なモノは一切ない。入っていた栞も名刺大の小さなものだけ。

優れた商品には、ブレのない終始一貫した姿勢のようなものを感じます。難しく言えば「商品哲学」がある。それは企業や施設の「考えていること」を表します。

特にギフトはそれに加えて、贈り手の気持ちも、そうしてセンスも一緒に届きます(ここ重要です。)

このクッキーが届いたとき、清潔なまっ白いブラウスを着た女の子がやってきたように思えました。髪に赤いリボンをつけ、折り目正しく。中を開けるとやっぱり賢い子だったねと。それは、贈ってくれた友人そのもののように。

実は、上質で大人向けの商品とはこういうものだろうと思うのです。それは、見せかけだけのものではなく、隅から隅まで「ワタクシである」という、オリジナルの世界観を持ったもの。難しそうですが、自分が(施設が)何をしたかったかで、その答えは出るように思います。

(幸)
| - | 22:40 | - | - | pookmark |
弱き者のままで。


このところ体調不良で、しばらく前線から離脱しておりました(幸)です。まだ仕事には復帰していませんが、やっとPCの画面が見られる状態になりました。

もともとデジタル苦手なうえに病のため、実は片目しか見えていなかったという状態でして、PCなんぞ見る余裕もなく。あー、もう今は大丈夫ですよ。寝たり転んだりしながら、ゆっくり治療しています。こんなに長く休んだのも出産以来じゃないかと、しかも病気でという、ちと悲しい事実にも気が付いたりして(笑)。

その間19号の配送等もあり(神)や家族ががんばってやってくれました。私はじっとしていられず周りをウロウロ。みんなから「寝ときなさい!」って大ブーイングを受け、今回ばかりは床の間の飾り物状態(笑)。

いやしかし。
できないならできないで、何とかなるもんです。それならそれで何とかする人たちがいる。「私がやらないと!」みたいなことは勝手な思いあがり&自己顕示欲に過ぎないんだと、床に臥しながら思ったことのひとつです。

また一方では、「私がやらなくて誰がやる」という思いも消えてはいませんが。だからきっと、復活したらまた懲りずにガンガンやるんでしょうけど。ええ、病気になったからって、やりたいことにセーブはかけられません。それは制作者の悲しい性のようなものです。まあ、今回いろいろと迷惑もかけましたしね、一瞬、これからはおとなしくしようと思いましたが、回復に向かうにつれ、やっぱり元に戻る。(周りの方々、ここで会ったが百年目、で諦めておくんなさい。笑)。



「ガンガンやる」って言うと、「すわっアリヤも拡大に目覚めたか!」と思われがちですが、ぜーんぜんそんなことじゃなくて。何度も言っていますが、もっともっと深く深く掘って、核となる部分まで掘って揺るがない「点」にしていくこと。その「点」をたくさん作って「線」から「面」にそうして「立体」にしてゆくこと。それにはとてつもなく長い時間がかかります。でも、まずは始めないと。素手でも何でもこの穴を掘り進めないと。

では、その「中身」は何かと言うと、ええっと表現が難しいのですが・・・
「弱き者が弱き者のままで尊重されること」が、アリヤの活動の根幹なのです。弱き者が、強き者に姿を変えることではなくて。それだとグルグルとバケツの中を回るネズミのようなものだから。順繰りになるだけで解放はされないのだと思うのですね。

障がい者のモノ作りの分野にもビジネスの波が押し寄せています。それはそれで必要でしょう。工賃アップもしかり、誰であれ豊かな生活も求められて当然です。ので、それはそういう力を持った方々にがんばっていただきたい。

ただ、それだけでいいものだろうかと。まあ、障がい者施設のモノが売れるということは、それだけ理解が広がるということだと、アリヤ的にも思ってはいますが。でも、それだけでは本質的な解決にはならないでしょう。障がい者問題だけではなく、この地平には表に出にくい弱い立場の人たちが多く存在しているのですから。

いつの時代も抱えてきた途方に暮れそうなこの課題に、向き合うことは容易ではありません。けれど、私たちアリヤもこの社会の底で生きる弱き者のひとり。

弱小アリヤはその冠の「弱小」がそのままでいられるように、また道なき道を歩いています。たぶん、それは辿り着く場所などない、空ゆく雲を追いかけるようなことでしょうけれど。

されど自分の人生。
どの道、明日があるかどうかなんて誰にもわかりゃしない。
誰しも、志半ばで人生は終わるのだと思います。
ならば、ため息いついている間に、やりたいと思うことをやったほうが幸せというもの。

大バカと言われつつも2匹の蟻は、それなりに愉快に、今日も地味にがんばっています。で、もうすぐ復活しますので、またよろしく〜。

(幸)

| - | 20:37 | - | - | pookmark |
こころ、紡いで。

 
雨の土曜日です。
最近の私(幸)の朝食は、果物と豆乳の手作りジュース。今日は、リンゴ、バナナ、モモの3種類。がーっとミキサーにかけて、はい、オワリ。たまに野菜も入れます。夏が終わるまで、毎朝コレ。寒くなると飲めません(笑)。

仕事場の窓から降る雨を眺めながら、ぼんやりと、創刊当時のことを思い出していました。先日、ある人と会って創刊当時のことをお話したので、その余韻がどこかに残っていて。

アリヤのことを少し詳しく知った方からは、決まって同じ質問を受けます。「(自分たちの生活が)成り立たないものをどうして作るのですか?」と。理由はたぶん、たくさんある。でも、いつもうまく説明できません。今流行りの(?)社会貢献?困っている人を助けたい?いやいや・・・その言葉の前に、いつも立ちすくむ自分がいます。それも当然含まれるだろうけれど、そうじゃなくて、そんなことじゃなくて。

アリヤは創刊から6年が過ぎましたが、構想から入れると8年近く時が流れました。
この話をどこに持って行っても、誰からも相手にされなかった8年前。貯金は底をつき、明日をも知れない状況の中で、私と(神)は彷徨っていました。実際、(神)は家賃を滞納し追い出される寸前、食事は毎日小麦粉を茹でたものを食べていましたから。まあ、私も似たような状況ではありましたが。

と、当時のエピソードは1冊の小説にできるくらいありますが、新しい何かを始めるというのは、多少なりともみんなそんなものでしょう。苦労といえば苦労ですが、真っ只中にいる当人たちにとっては、そんな実感もないのです。槍や鉄砲玉が飛んでくるような戦時中に「苦労してるわ」なんて思うはずもなく。考えることはただ、「どうすれば今日を生きれるか」なのです。

紆余曲折の末、私たちが出した結論は、「自分たちでやる」「自分がやる」という、もっとも過酷な道を選びました。選んだ・・・というより、もはやそれしか方法がなかったのです。

そこから現在まで、どうやってその嵐の中をくぐりぬけてきたかは、もう思い出せません。いや、正確に言えば今もまだ嵐の中にいる。私と(神)の暮らしぶりが劇的に変わったわけではないからですね。ああ、もう小麦粉は茹でて食べてませんけど(笑)。せめて1杯のジュースを飲めるようにはなった。

それはとりもなおさず、アリヤと私たちを知って、陰ながら応援してくださる方々がいる。そっと、いろんな扉を開けてくださった方々がいる。私たちの歩くこの道の小石を、どけてくださった方がいる。それこそ、何も言わず誰にも知られず。けれど、私たちはそれをわかっているつもりです。でなければ、いま、アリヤは存在していないでしょう。当然、私も(神)も、もうここにはいないでしょう。

「どうしてそこまでしてやるのか」の問いの答えは、実はここにあるのです。

ほんとうに、みなさん、ありがとう。

アリヤ19号、無事に入稿しましたよ。


特集は「こころ、紡いで。」さをり織りの特集です。

このタイトルがすごく胸に迫る、きょう。
雨は相変わらず降り続いています。

(幸)



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