
アリヤ13号の締め切りに追われるなか、私は(神)にメールを打ちました。
――― 発行回数を年3回にしよう。――― と。
そうして今後、年2回になろうと、あるいは1回になろうと、あるいはぺらぺらの薄っぺらいページ数になろうと、とにかくやれるところまでやろうと。発行部数もぎりぎりまで減らすことにして、まずはどうやったら続けられるかを考えることにしました。少なくとも後ろ髪を引かれている間は、終わらせてはいけない。それはやっぱり後悔に通じるからです。
まあ何をしたって人生は、後悔というものなしにはないのかもしれませんが。それでも、後悔はできるだけ少ない方がいい。そうして何より、矛盾のない生き方をしたい。これもまた、なかなか難しい。いや、いちばん難しい。人は常に矛盾との闘いの中で生きるものでしょうから。しかし、であれば闘うしかない。
できる限り自分の中にある矛盾を少なくして生きるにはどうしたらいいか。思えばアリヤは、その問いの中から生まれたものでした。それはわかりやすく言えば、自分はおなか一杯でも、隣に飢えている人がいて、自分はほんとうに幸せか。単純なこの問いは、自分の核となる部分をあぶりだしてくれるものです。先の震災、特に原発の事故は、まっすぐにその問いを私に突きつけてきました。逃げるわけにはいかない・・・そう思った私は、どんな形であれ、アリヤを続ける決心をしました。
この小さな冊子を、楽しみに待っていてくれる人がいて、アリヤに載ることをものすごく喜んでくれる人たちがいて。この仕事をしていて、冥利に尽きるとはまさにこのことです。今までもたくさんの印刷物を作ってはきましたが、こんなに楽しく、こんなに嬉しかったこともまた、なかったように思えます。だから、誰かのためにとか社会的な意義だとか、そんなおこがましいことではなく、私たちは私たちのために、アリヤを手放すわけにはいかない。それは探し求めてやまない「幸せの在り処」とでもいう場所がこのアリヤにあるような気がしているからです。
私たちはいつの間にか、人生におけるとっても大切なものを手に入れていたのです。 いえ、正確にいえば、その幸せの在り処に通じる道の上に立ったということでしょう。すべては現在進行形。
なんだか1〜3まですごーく引っ張ってきましたが、つまりはアリヤを年3回にすることを、先に読者の皆様にお伝えしたかったのです。黙って結果だけを報告してもよかったんですけどね(アリヤ13号の誌面では簡単にしか書いていませんけど)でもね、やっぱりそんな冷たいこと、できませんでしたのよ(笑)。私たちはアリヤの周辺にいる人たちから、どんなに温かいものを受け取っているかと思うと、この楽屋話をせずにはいられませんでした。
弱小ゆえ何もかもちゃんとできない私たちではありますが、これからもゆっくりのんびりとお付き合いいただけたら嬉しいです。でこぼこ道をつまずいたり転んだりしながら、でもその分、道の端に咲く小さな花にも出会います。生傷は絶えませんが、そんなもんたいしたこっちゃない。唾をつけてりゃ勝手に治ります(笑)。
しかし、こんな調子でアリヤはいったい、どこに行くのでしょうか。この山の向こうの、まだ見ぬ景色はいったいどんな景色なのでしょうか。
(もしかしたらそのうち4に続くかも)
(幸)